CROSS TALK 特別対談企画 Vol.3〈前編〉
俳優・モデル
鈴鹿 央士
岡山土地倉庫
取締役社長
末長 一範
2023年より岡山土地倉庫(SUENAGA Group)のイメージキャラクターをご担当いただいている鈴鹿央士さんをお迎えして、末長社長と語り合っていただきました。岡山の思い出、乗り越えてきた壁、そして次の「挑戦」について。対談はたいへん盛り上がり、大ボリュームに。前編・後編に分けてお届けします。
(対談日:2025年8月18日)
MEMBER
俳優、モデル
鈴鹿 央士
様
地元岡山でスカウトを受け、フォスターに所属。集英社「MEN’S NON-NO」専属モデル。
映画デビュー作『蜜蜂と遠雷』(2019年)で、第41回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞、第93回キネマ旬報ベスト・テン 新人男優賞、第43回日本アカデミー賞新人俳優賞など数多くの賞を受賞。近年では2022年CX『silent』、2023年TBS『スイートモラトリアム』、EX『ゆりあ先生の赤い糸』に出演、2024年TX『闇バイト家族』、CX『嘘解きレトリック』では主演を務めた。2025年は映画『花まんま』、『Chao』(主演)、舞台『リア王』NINAGAWA MEMORIAL(2025年10月~東京・大阪にて上演)に出演。
岡山土地倉庫株式会社
取締役社長
末長 一範
岡山を中心に、広島・ベトナムへと事業を展開するSUENAGA Groupの代表。「物流事業」「トヨタ事業」「マクドナルドフランチャイズ事業」「モータースポーツ事業」など、全12社を率い、地域と世界をつなぐ挑戦を続けている。さらに、自身も国際C級ライセンスを持つレーシングドライバーとして、モータースポーツの世界で走り続ける。常に挑戦を楽しむ姿勢が、グループ全体の原動力となっている。
― 末長「鈴鹿さんの
イメージキャラクター就任は、
私たちにとって夢のような話でした」
― 鈴鹿「生まれ育った岡山で
自分の姿を見ると、
『これからもがんばろう』って思えます」
- 末長
- 鈴鹿さんにお会いするのを楽しみにしていました。弊社グループのイメージキャラクターに就任いただいてからずっとお会いしたかったのですが、ようやく叶ってうれしいです。
- 鈴鹿
- ぼくも今日の対談を楽しみにしてきました。よろしくお願いします。(社長の足元をじっと見る)……あれ? 社長が履いてるスニーカー……
- 末長
- ん?
- 鈴鹿
- ぼく、同じもの持ってます!
- 末長
- おー、そうですか!
- 鈴鹿
- アーティストの山瀬真由美さんがデザインされたスニーカーですよね。
- 末長
- そうそう、4年ほど前の発売でしたかね。スニーカー、お好きなんですか?
- 鈴鹿
- はい、けっこう好きで。
- 末長
- どんどん増えていくでしょう?
- 鈴鹿
- そうですね。今、えーっと……30足を超えてます(笑)
- 末長
- さっそく共通点が見つかってうれしいです(笑)
- 鈴鹿
- よかったです(笑)
- 末長
- あらためてイメージキャラクターの就任に感謝します。グループの役員や従業員の前で最初に発表したとき、みんな信じてくれなかったんですよ(笑)。それくらい、私たちにとって夢のような話だったんです。
- 鈴鹿
- とてもうれしいです。
- 末長
- 鈴鹿さんは弊社が拠点を置く岡山市の出身で、俳優、モデルとして多方面で活躍されています。様々なことに挑戦している姿が、グループのスローガンである「Challenge and Change」に重なると考えました。
- 鈴鹿
- ありがとうございます。「Challenge and Change」という言葉に共感します。なにかに挑戦して一歩前へ踏み出すときって勇気が必要ですが、その先にある変化を思うとワクワクできますよね。
- 末長
- 社員もたいへん喜んでいます。テレビCMを見た家族や友人からポジティブな反応が返ってくると。「すてきなCMで、岡山や香川だけの放送ではもったいない」と言われたとも聞きました。自分の会社が誇らしく感じられて、モチベーションアップにつながっているようです。
- 鈴鹿
- うれしいです。そういえばこの前、東京の友達が岡山へ行ったのですが、グループ企業のトヨタレンタリース新岡山でぼくの等身大パネルを見つけて、写真を送ってくれました。「あったよ」って。
- 末長
- ご自身でも岡山で広告を見る機会はありましたか?
- 鈴鹿
- はい、岡山に帰ったときに路面電車のラッピング広告を見ました。生まれ育ったまちで自分が出ている広告を見ると、不思議な感じがするのと同時に、「がんばってきてよかったな、これからもがんばろう」って思えます。
岡山で過ごした日々のこと
- 末長
- 高校を卒業するまで住んでいた岡山には、どんな思い出がありますか?
- 鈴鹿
- 実家のまわりは田んぼや小高い山があるような場所で、自然に囲まれて育ちました。子供の頃、よく山の上まで登っていって町をぼーっと眺めていたのを思い出します。
- 末長
- 出演していただいたCMでも鈴鹿さんが山の上から町を眺めるシーンがありましたけど、そのままだったんですね。
- 鈴鹿
- そうなんです。それから、子供のころは瀬戸内の方によく連れていってもらいました。海が近いので海釣りを楽しんだ思い出もあります。自然に囲まれて育ったから、今でも自然が好きですね。
- 末長
- 中高生の頃に熱中していたことはありますか?
- 鈴鹿
- 高校の部活でやっていたバドミントンです。大きな成績を残したわけではないのですが、毎日仲間と一緒に一生懸命に練習をして、ときには他愛のないおしゃべりをして。青春だったなあって。結果よりも大切なものが、その日々の中にあったと思います。末長社長はどんな10代を過ごしましたか?
- 末長
- ぼくは昔から服が好きで、中高生のときは学校帰りによく古着屋さんめぐりをしていました。会社を継ぐ前は洋服屋さんで働いていたこともあるんですよ。
- 鈴鹿
- スニーカーもですけど、ファッションがお好きなんですね。
- 末長
- そうなんです。鈴鹿さんはモデルのお仕事をされているので、ファッションが身近にありますよね。
- 鈴鹿
- 実は高校を出るまではまったくファッションに興味がなかったんです。『MEN'S NON-NO』の仕事をするようになってからですね。服に触れる機会が多くなったので。でも今もそんなに深い知識はないんです。よくスタイリストさんと編集部の方が「何年代にはこういうファッションが流行して」みたいな話をしてるのですが、自分もそういう話ができるようになりたいなって思います。
デビュー作で出会った人たちからの影響
- 末長
- スカウトされてから上京するときはどんな気持ちでしたか?
- 鈴鹿
- 最初は「大学に通いながら続けてみて、芸能界が楽しかったら続けよう、楽しくなかったら就職活動をしよう」と考えてたんです。「絶対に売れてやるぞ」というような気持ちを持たずに東京に来ました。今思うと、いい意味で肩の力を抜いていたのがよかったのかもしれないです。
- 末長
- デビューまでがとても早かったでしょう?
- 鈴鹿
- 大学に通いながらいくつかオーディションを受けていて、3ヶ月ほどで映画『蜜蜂と遠雷』のオーディションに受かりました。その後、映画の撮影中に『MEN'S NON-NO』のオーディションにも受かって、俳優とモデルの両方をやることになりました。
- 末長
- すごい。順調なスタートですね。
- 鈴鹿
- 早くにスタートできたこともよかったのですが、それよりもデビュー作の『蜜蜂と遠雷』で同じ時間を過ごしたスタッフさんや共演者の方々との出会いが、ぼくにとって大きかったです。みんなが一丸となって「この作品をいいものにしよう」とまっすぐに向き合っている姿を見て、「自分もこの世界で生きていたい」と強く思うようになりました。一番最初の作品でそう思えたことはラッキーだったと思います。
- 末長
- 売れていく過程で、とまどいを感じたことはありますか? ぼくの場合は28歳のときに家業を継いだんですが、自分の立場が変わることで、まわりの人の接し方も変わってくる。自分を取りまく環境の変化に、とまどう時期がありました。
- 鈴鹿
- ぼくもありました。たくさんの素敵な作品やスタッフさん共演者のみなさんと出会えて、恵まれたお陰で評価していただけることもありますが、自分としてはまだまだこれからという気持ちで走っている最中なので、まわりの評価と自己評価との温度差を感じることはあります。
- 末長
- 評価をもらうのはありがたいことですけど、ギャップを感じることもあるでしょうね。
- 鈴鹿
- そうですね。河島英五さんの「時代おくれ」という歌が好きなのですが、その歌詞に「飾った世界に流されず」という一節があるんです。まわりの人からもらう評価が大きすぎると感じるときは、その言葉を思い出すようにしています。そうすると一歩引いて、自分を客観的に見つめることができるんです。
Photo:桑島智輝/Styling:伊賀大介/Hair&Make-up:阿部孝介(トラフィック)